写真論(完結編)

第11章 [正方形の未来]
28節 <的を持つ>
 『スタートを決めないとゴールしない』これは、良いと思ったら直にスタートするという意味ですが、もう一つは実現したい夢を一番に持ってくると達成するという意味です。女神の後ろ髪とか、チャンスの前髪という例え話にありますが、要はスタートのタイミングの問題で、スタート時の勘の難しさを示唆しているのです。平たく考えれば、興味を持ったら直に始めるべきであるという事ですが、もう一歩踏み込んでみますと、『一生一度の人生で、これだけは絶対に!』というべき、人生の的を持つことになります。
私がよく尋ねられるのは、「何故、写真をやっているのですか?」というものです。その度に私は次のように答えています。「写真の読み方を学ぶためです」と。すると、「写真は見るものではなく読むものなの?」というような驚いたような答えが返ってきます。私にとって写真という行為は、このような持続的ともいえる問答の連続を意味し、それは私にとって『産みの苦しみ』なのです。それでは、何故このような写真行為を繰り返すのかと申しますと、『自分の出力を得る』という、何にもかえがたい悦びがあるからなのです。
 一意専心とは、一つのことにだけ心を集中するという意味ですが、撮影中は無言、そして気力は十分、一瞬も気が抜けず一言も出ないといった、誰しもある経験の本質なのです。世間一般の実務においては、持ち場をかわっても共通な部分、誰が取り組んでも一定の成果を出せる、仕事の取り組みを設計すること、ある意味でモットーなのですが、このことを背景に一対といえる自分の切り札を持つことが、一意専心のシャッターをきることなのです。
 撮影することの責任の意味を何処に求めるか、十人十色だと思いますが、私の場合は「シャッターをチャージして絞りを入れる」と定義しています。このことが、焦点合わせを把握したことになると、ほぼ思えるからです。更に「チャージすることは撮影の責任を自ら負う」ことであると。チャージすることは、撮影の意志決定であり意思表示の合図でもあるのです。この一意専心のチャージへの思い入れは、撮影に携わる個人のこだわりなのですが、単純に「チャージは撮る段、撮る直前の意思表示」という意味を超えて、等身大から無限大に至る話へと随分と語りかけてくるものです。洞察を無に帰するという言い回しから、話の末広がりという具合に。実は、私のこだわりも、ここにあるのです。一意専心という言葉を訪ねて、私の本質追求の心の旅路は、今始まったばかりです。


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Commented by kyankyanda at 2007-04-20 15:12
友人のカメラマンも、一枚の写真を撮る際にものすごい集中します。
今はデジタルカメラで気に入らないとすぐ削除できますが、
フィルム時代からのカメラマンである友人は、フィルムを大切にし、なおかつ時間を大切にするため、一枚の写真でも気を抜かず集中するのだと話していました。
そのことを久しぶりに思い出しました。
Commented by スグル at 2007-04-21 14:22 x
コメントありがとうございます。本当に、その通りですね。そして、1枚の写真で、1つの事柄を表現する難しさもあると思います。1フレーズ1クローズという、1枚切りの集中力、それが全てという具合に。この事は、1つの極論かも知れませんが、それと同時に写真表現の広がりも構築できる、素晴らしさもあると思います。
今日は、1つのヒントを頂いたと思います。
”フィルム時代からの”というのは、写真を考える上で1つの重要なキーポイントであると思います。1つのヒントを1つの課題に成熟するように、検討して行きたいと思います。
by suguru2056 | 2007-04-16 21:15 | 写真 | Comments(2)